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【コラム】「ゴミ曲」呼称に対して適切な反駁をして、殺しに来る奴を殺す 

再生数だけで「ゴミ曲」と言ってる奴もいるからなぁ、というのをうっかり書き間違えて、
「ゴミ曲」と言ってる奴は再生数だけで言ってる、と書いてしまったせいで、こんなケンカを売られた。

根拠が無いのであれば無意味な侮辱と見なします。適切な反駁か撤回を願います。
https://twitter.com/rooftopstar9/status/867675146307289088

別に自分のことなんかどうでも良いが、それなりに信頼してる人を侮辱するような奴は殺す
https://twitter.com/rooftopstar9/status/867675966025326592

こちらが意図を伝え間違ったとはいえ「殺す」とまで言われたら、こっちも黙って殺されるわけにはいかないんでね。
「適切な反論」をして、こっちからも殺しに行ってあげましょう。


この記事

ボーカロイドとゴミに関する個人的な雑感(前編)
https://note.mu/rooftopstar/n/nedc45a4b8353

で言うところの「ゴミ」っていうのは、非常に狭い範囲で流行っている表現。ここでいう「ゴミ」というのは、正しく作れる曲を意図的に崩したものであって、本当に「ゴミ」な曲ではない。
しかしDTM初心者から歴戦のつわものまで、10年もの歴史を刻んできたボカロ曲界隈においては、「ゴミ曲」には別の意味と、本当の意味で、かつ捨てることのできない「ゴミ曲」というものが存在する。その中で狙って崩したものや、たまたまいい感じに崩れたものについて「ゴミ」と呼称するのは、意味合いのブレという点でも、本当に存在する「ゴミ曲」との差別化という意味でも不適切と言わざるを得ない。尊敬できる人だかどうか知らないが、気に食わないことを言う人間を殺す前に、混乱を招くような迷惑な表現は改善するよう言ってもらいたいものだ。

いわゆる一般的な意味での「ゴミ曲」「ゴミのような曲」というのは、ボカロがブームになったといわれていた2011年~12年頃に言われていた。
「大量の再生数を稼いでランキングに載らないような曲は聴くに値しない・歌ってみるに値しない。」
これは最近も某元歌い手氏が動画ではっきりと口にしたが、実際有名Pが作ってない、再生数が伸びない、ファンの間であまり知られてない、みたいな曲は取るに足らないもの、ゴミのような曲、という扱いをする人々が大勢いた時期、というのは確かに存在したわけだ。で、曲で言うところの「ゴミ」っていうとそういう意味合いを指す、という受け取られ方が、特にこの時期を知っていて、再生数至上主義の連中を苦々しく思ってた人々にとっては一般的だろうと思う。

一方で、「頑張って作ったんだけれども、個性も弱く完成度が低く、まことに残念」という曲は一定数存在する。なにせDTM初心者の処女作までニコニコに上がってるような界隈、そういう曲も一定数存在する。問題はこうした曲たちは2007年当時と比べて、ほぼほぼ成長の芽を摘まれているに等しい状況にある。
2007年の「奇跡の3ヶ月」と言われたころに作られた曲を改めて聴いてみると、曲が古いだけではなく、V2ミクさんの癖を抑え切れていなかったり、歌詞が非常に聞き取りづらかったりと、その後作成される曲たちに比べて一段二段落ちるものも多い。しかしながらそういう曲たちもかつては「新機軸のボカロ曲」ということで一定の評価を受け、その評価に乗ったPたちが研鑽を重ねることで質が高められていった、という経緯がある。
残念ながらこの流れは、ボカロ曲が次々作られ、いい曲が残り蓄積されていく上でなくなっていく。「最低限聴かれる曲」の水準がどんどん引きあがっていき、DTM初心者が気軽に聞いてもらえる環境はどんどん失われている。
実のところ「ゴミのような曲」として深刻な意味でとらえられるべきは、むしろこの10年で引きあがった「足切りボーダー」の下に行ってしまった曲たちであり、それは曲の不出来に対する批判ではなく、今はまだまだだけどこれから伸びていくかもしれないDTM初心者の芽をどう生かし、DTM人口の裾野を保つか、という重大な問題につながる話なわけだ。

くだんの記事で「ゴミゴミと盛り上がってる界隈」である「アンダーグラウンド」も、いわゆるアンダーグラウンド好きのマニアによって支えられている世界なわけ。その世界で盛り上がってる人たちが、果たして「その下の世界」に目を向けているかというと、決してそうではないし、そうするつもりもないんじゃないか?だから「ゴミ」なんていう重い言葉を「愛をもって」などと軽く称することができるんじゃないか?

そんなわけで。
「再生数でしか見てない」というのはこちらの記述ミスの産物ではあるが、「それなりに尊敬している人たち」に対する批判的な認識は無根拠ではない、という反論と、殺しにくる人に対してはこちらもそっちを殺す態度で臨みますよ、という意識をこめた批評文として。
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