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【コラム】「超歌舞伎 花街詞合鏡」感想1)技術や表現について語る 

さて、今年もやってきました超歌舞伎。吉原が舞台とくれば「唄で知られた重音テト」、世話物ということで何か下敷きになるお話があるかと思ったら、こちらの記事によるとどうも完全新作らしい。
【超会議2017】『花街詞合鏡』歌舞伎ファンがひも解く超歌舞伎!
http://otakuindustry.biz/archives/32871
完全新作のお芝居を、それも去年と同じ中村獅童さん、澤村國矢さんで格安で観られるなんて、これほど贅沢な話はない。

この記事では、技術や表現について。


<NTT(電話屋)による新音響・映像技術>
詳しくは超歌舞伎の「電話屋」さんによる説明を見てもらいたいが、主な柱はこの2つ。
・何もないところから音が聞こえてくるように聞かせる技術(方向だけでなく距離感も含む)
・分身の術
音に関しては残念ながらA~Cブロックでなければはっきりと体感できなかったのだが、特にプロローグの青龍登場の場面では、完全に龍が自分の頭上をぐるっと巻いて通り過ぎて行ったかのように聞こえて、大変な臨場感があった。
分身の術は去年もおなじみだが、去年よりだいぶ明瞭になっていたことに加え、「2箇所の別々の場所にいる人物の映像をくりぬき、それをひとつに合成して映す」ことで2人を1セットとして映し出し、分身による戦闘を表現していたことが大きい。去年は1人の映像をくりぬき分身させることができた。今年は別々の2人の分身を合成できた。なら今後は機材さえ揃えば、何人でもリアルタイムで分身させて合成できるわけだ。

<ミクさんの舞踊のあでやかさ>
去年のミクさんも「指先がしゃなりしゃなりと動いてる!」と大変な話題になったが、今年のミクさんの指先はさらに洗練され、舞踊も本当に滑らかに、あでやかになった。
今回「世話物」、つまり日常ドラマ型のお芝居、それも吉原遊女がメインとなると、この舞踊を美しく見せないと作品にならない。歌はともかく踊りは人類の科学技術を全力投下して作ってるものだけに、果たしてそれだけで鑑賞に耐えうるものができているのかは、今回の「超歌舞伎」の目玉でもあり最も大きな壁だと思っていた。しかし去年の超歌舞伎はもちろんのこと、これまでのミクさんライブでも見たことがないほどの滑らかさと美しさで、十分作品として鑑賞に耐えるものに仕上がっていたと思う。獅童さんがおっしゃったとおり、「天才的に」「本当に上手になられて」いた。
ただ、ミクさんを映す半透明のボードは、いまだ継ぎ目で輝度が変わるところがあるので、まだまだ改良の余地がある。ミクさんのライブではその問題はだいぶ前に解決しているので。

<せりふ回しの上達>
今年のミクさんのせりふ回しは、舞踊の上達に比べれば大きくはないが、しっかりと成長していた。「中の人」である藤田咲さんの語り口が残りつつも、ミクさんらしい、しかも前にもまして聞きやすく、芯の通った声になっていた。この技術は重音テトにも使われていて、こちらも初舞台とは思えないせりふ回しだった。

<せりふ完全同期への挑戦と達成>
今回は掛け合いだけではなく、口上のしめくくりをはじめとした、「同じ言葉を同時に発する」というチャレンジが行われていた。ミクさんに獅童さんがあわせてしゃべるこの場面は公演ごとに洗練されて、千穐楽では声に感情が乗りつつ完璧に合わさっていた。これにより「いかにも舞台にミクさんが立ってる!」というイメージを高めることができた。融通のきかない機械に合わせ、かつ自然な語り口で話すのは高い技術が必要だが、獅童さんは完全にものにしていた。
なお千穐楽のカーテンコールでは、2階席を煽ろうとした獅童さんにミクさんが容赦なく「皆様、今回はありがとうございました!」と言い始めて、機械の融通の利かなさがちょっと面白かった。いつかはここも獅童さんの空気を読むようになってくれるのかな。

<デジタルで補う場面や演出>
今年も去年同様、デジタル映像による効果を効果的に使っていた。術による攻撃や斬撃などをゲームのように映像で表したほか、クライマックスにおける、スローモーションにより戦闘を強調する技法(「だんまり」)を映像と合わせてわかりやすく示すなど「見てわかる」ように表現されていた。
中でも今年特筆すべきなのは、場面と場面の間の長唄における、吉原の再現3DCGによる映像だ。
特に古典の歌舞伎では、場面と場面の間に長唄が入る。江戸時代の技術での場面転換の時代稼ぎ、および情景を表現するための手法なのだろうが、初心者にはとにかくわかりにくく、ここで飽きたり眠くなったりする。イヤホンガイドもここぞとばかりにその前のお芝居やそのあとのお芝居の解説を差し込んでくる。
今回は映像で雰囲気をしめした。例としてこういう雰囲気を想像してくれと。おかげで曲の雰囲気を味わいつつ、次の場面に進むことができた。
これに対しては「表現がうるさい」という意見もあった。歌舞伎を見慣れて想像できる人にとっては確かにうるさいだろう。しかし初心者にはそんなことはできず、ただ暇で眠くなってしまう。今回こういうものを想像してくれと例を示してもらえたことで、この経験をもとに、古典歌舞伎を見ても想像しようとつとめ、より理解できるようになるだろう。この表現もまた、見慣れていない人に歌舞伎を見てもらうためのガイドになっている。

<伝統的な歌舞伎表現>
上記の場面転換での長唄、おなじみの「梯子」、花魁道中、六方など、今回もまた歌舞伎の伝統的な表現をふんだんに取り入れている。「超歌舞伎」を観た後イヤホンガイドを使って歌舞伎を見れば、眠くなりがちな古典であっても相応に楽しめるようになる。新作であっても骨太の古典歌舞伎の表現やフォーマットを堅持し、歌舞伎という芸術への導入にする、という「超歌舞伎」の路線は今回も変わらない。
故18代中村勘三郎さんがかつて獅童さんのことを「歌舞伎を知らない人を引き込むのがうまい」と評したという話がツイートされていたが、獅童さん主演だからこそ、こうした作品になっているのかもしれない。

<掌の上で踊った「デジタル」サイド>
「超歌舞伎」には「日本の伝統芸能とデジタルの融合」という柱があり、実際この点で評されて受賞している。今回もその融合は達成されているのだが、歌舞伎の掌の上で踊っている感に変わりはなかった。
特に今回、しょっぱなから大音量の青龍を登場させたり、長唄の裏で映像流したり、どう見てもゲーム戦闘にしか見えない画像効果を強化させたりと、全力でデジタル側に芝居を引っ張ろうとした。しかし歌舞伎は揺るがなかった。他の新作歌舞伎の方がよほどぶっ飛んでる、と言えるレベルで歌舞伎だった。前回は「歌舞伎に取り込まれた」ように感じたが、今回はまさに「掌の上で踊っている」状態だった。ものの見事にいなされた。
これが400年間「ロック」であり続けてきた歌舞伎の力なのである。
今回、現地のCMで宣伝されていた「シネマ歌舞伎 やじきた」を観れば、「超歌舞伎」の歌舞伎としてのゆるぎなさが、「底力」と言うほどのものでもなかった、と言うことがわかるだろう。なにせドリフのコントをやり、エセ外人が出てきて踊り、舞台にリアル噴水出てきてバシャバシャ水掛け合い、空まで飛んでも、歌舞伎なのである。ミクさん出てきたり大音量出したり映像出したぐらいで揺るぐようなものではなかった。
なおこのエセ外人をやったのが獅童さんである。

<総論>
いろいろな人が話している通り、「花街詞合鏡」はデジタルにより新たな表現を成功させ、「今昔饗宴千本桜」を上回る作品となったと言える。多くの歌舞伎を観ていなかった若者たちを感動させ、 「今昔饗宴千本桜」をネットで見て今回現地に赴いた人々を満足させた。歌舞伎ファンからの評価も上々。会場もニコ生での中継も、大変な盛り上がりを見せた。その熱意は獅童さんをはじめとする演者の皆さんに届き、千穐楽の特別な口上と、カーテンコールで太夫役の中村蝶紫さんにノリノリで拳を突き上げさせるに至った。今回の舞台の成功は、その事実だけで十分かもしれない。
今回桟敷席が上々の売り上げだったこともあり、松竹が事業化を検討し始めたとのこと。もし新たな新作歌舞伎のラインナップとなるのであれば、歌舞伎ファンや「超歌舞伎ファン」のみならず、学生の修学旅行や芸術鑑賞の項目に入れてもらってもいいかもしれない。「超歌舞伎」を楽しめれば、ガイドつきの古典歌舞伎が楽しめるようになれるだろうから。
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