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【コラム】歌舞伎に魅せられたミクファンの超歌舞伎感想 

4/29、30の2日間で計5回公演のあった「超歌舞伎」。
観るまでは「いつもの超コラボ、面白そうだから1回観るか」だったのが、初日の14時の公演後に「また明日別の角度から観ておきたい」になり、2日目13時の公演後に「ボカロファンとして行きたかったクラブステージをあきらめてでも千穐楽を観に行く価値がある!」となった。ミクさんが出るから、ではなく、歌舞伎という芸術のすばらしさに感動して、イベントホールに通った。
初日から超歌舞伎超歌舞伎とツイートしてるのだが、ここで感想をまとめたい。



ミクさん

まず、ミクさん。神代からご神木を守る存在として、歌うソフトであるボーカロイドでしゃべらせること(ボカロファンの間では「トークロイド」と言われている技法(※1))による「拙く人間っぽくないしゃべり」がすごくマッチしていた。「神憑」というのは人間ではない、ああいう存在なのだ、というのがよく表現されていた。
でもこのミクさんを輝かせ、また舞台においてさらに光り輝いていたのは、歌舞伎役者さんのすばらしい演技と、さまざまな舞台の仕掛けだった。
追記:藤間勘十郎さん自ら「指導」された舞に言及できていなかった!本当に優雅で、ライブで元気いっぱい飛び回るミクさんとは違った一面を見られて、これも本当にうれしかった…のだけど歌舞伎があまりにもすばらしくて…。


中村獅童さん

主役を務める中村獅童さんの演技はものすごい迫力だった。初日14時の公演では丁寧な歌舞伎の演技を披露してくれたが、回を追うごとに迫力を増した。佐藤忠信としての静謐で冷静な登場、狐としての大立ち回り、最終決戦での力強い戦い、そして何より、青龍と合い討ちとなり最後の力を振り絞って言葉を紡ぐあの姿は感動的だった。
千穐楽では、傷を負って苦しむ中、伝えなくてはならぬという強い意志、負けて倒れてしまうことの悔しさが強烈に伝わってくる演技で、来るとわかっていても号泣せざるを得なかった。思い出すだけでも涙があふれてくる。「萬屋あああああああ!!!」と絶叫したくなる。
この演技があったからこそ、美玖姫の叫び、さらにコメント弾幕が合わさっての満開の桜が更なる感動を生んだ。
そして「超」歌舞伎であるところの、ライブ調カーテンコール。後半になればなるほどバンドマンとしての一面を見せ、一緒にコールしてくれたり、スタンディングを促してくれた。千穐楽のダブルカーテンコールではさらに勢いを増し、観客席に下りて走り回るなどロックのライブのよう。その姿に触発され、ミクさんライブですらやらないぐらい、両手のペンライトを掲げ、振り回した。
一方で観客席への深々としたお辞儀、さらに手を合わせてくれたことで、歌舞伎役者としての気持ちも表現してくれたことが、本当にうれしかった。ただの超会議でのコラボではなく、新しいお芝居、「歌舞伎」なのだ。


澤村國矢さん

そして敵役である青龍役を務める澤村國矢さんの演技、これがまたすばらしかった。貫禄のある登場に加えて、「后にしてやろうぞ」のねちっこい目つき、幻の花が散らされた時や攻め込まれている時の慌てた表情、最終決戦での毛振りによる荒ぶる龍の表現など、國矢さんのすばらしい演技があったからこそ、観客として感情移入ができ、美玖姫も白狐も輝くことができた。
千穐楽のダブルカーテンコールでは毛振りで応えてくれて、あの一番派手なところをまた見せてくれたことも、うれしかった。
ミクさんと人間との共演はいつもライブで観ているけれど、ここまでミクさんと共に人が輝き続ける姿は見たことがなかった。それも獅童さん、そして國矢さんの演技があってこそ。歌舞伎役者さんの演技力の凄さを見せつけられた。
國矢さんについては初日14時の公演では屋号がわからず拍手することしかできなかったが、2日目の公演ではちゃんと「紀伊国屋」と紹介されるようになり、やっと感動の気持ちを出せるようになった。(※2)


さまざまな仕掛け

「超」なだけにいろんな仕掛けがあり、どれもが舞台の魅力を増していた。
・映像との共演
 映像を伴いながら舞台での演技が続いて行く、これは「連鎖劇」というもので大正時代に流行した劇とか。架空の「大正100年」をモチーフにしたこの超歌舞伎で、大正時代の劇の手法が、CGと舞台上の巨大スクリーンという形で再現されている。
・ニコニコ的台本
 「ニコニコユーザーのコメントで力いや益す」白狐、クライマックスではコメントがそのまま花となり力となって咲くなどニコニコ動画のシステムを生かしての台本で、生放送視聴者をも巻き込んだ舞台となった。ニコニコ動画というシステム、文化を理解している上でのこの台本、すばらしい。
・「ミクびる」
 國矢さんのせりふ「女と思って甘く見ていたが」→「女と思ってみくびっていたが」、これ最初は「あぁ台本変えたのね」と思ったが、ファンの一部が「ミクびる、か!」と言い始めて気づいた。こういうにくい計らい、ものすごく粋である。
 こうやってアドリブでネタ入れるのは普通の歌舞伎でもあるらしく…伝統芸能というものが持つイメージからすると画期的だ。
・ディラッドボードの活用
 ミクさんの画像を投影する「ミクさん召喚装置」、ディラッドボードという半透明の板なのだが、ここに青龍の炎や矢を映したり、分身した白狐を映したりとミクさん召喚以外にも大活躍。
 こういう形で人間を舞台に乗せたのはアメリカの2pacsや日本のhideの公演ぐらいで、ミクさんも上がる舞台で人間を投影したのは初めて。こうして舞台装置として積極的に活用されたことにも、こうやって使ってくる歌舞伎という芸能のすばらしさを見た。
・本家から取った台本
 後でわかったが、美玖姫の白狐に対する「怪しきものめ」、青龍との「さぁさぁ」連呼の掛け合い、「アハハハハ」の高笑いが、本家の「義経千本桜」の静御前と白狐のかけあいから取られているようだ。キャラクターのみならず、本家の要素もしっかり取り入れられている。
・追記:衣装変化
 主役の白狐の、忠信の裃から狐の白装束、赤く勇ましい衣装、さらにたすきがけした勇ましい衣装へと段階的に変わっていき、狐の強い思いを表現していたのもわかりやすく、そしてかっこよかった。
・追記2:見得の切り合い
 お互いに力を見せ合っている様子を古典的な歌舞伎の技で魅せる様子は、マンガやゲームで言うところの「カットイン」に似てるな、と思ったのだが、逆にこの見得の切り合いの感覚が「カットイン」のベースになっているのではないか、とも思えた。こうした歌舞伎の技をふんだんに魅せてくれたことも、楽しかったし、勉強になった。


「舞台は水物」の本当の意味

水物、というと「失敗もある」的なイメージが強いが、いい意味での水物、というところが存分に成果を挙げていた。
舞台ごとに洗練され力が篭っていく演技。獅童さんが口上に出る時、2日目のライブ並みの大向こうに軽く慌てふためく動きを見せてから平伏する所作。2日目13時公演のセリフ飛び(?)を苦しさの表現に変えた獅童さん。千穐楽で杖を取り落としたのをジャグリングのようなかっこいい所作に変えた國矢さん。すべて「もう一度見たい!」を誘うものになっていた。次は何が起きるのか、どう変えて行くのかが気になって、次の公演、次の公演、と見たくなってしまう


柔軟に変化できる伝統芸能・歌舞伎

伝統芸能、というと過去の芸能を墨守することを中心としがち、というイメージがあり、実際そういう形であり、結果現代に受け入れられずジリ貧に陥っているものや流派も存在する。しかし現代の歌舞伎は、新しい物を取り入れて面白い物を作って行く、という意識が演者・企画側に存在する。
ディラッドボードを直接的に演目の表現に取り入れ、完全に「超歌舞伎」の舞台のひとつにしてしまった。舞台の最後にテーマ曲をそのまま演奏し、ライブセットのようになっていた。この自由度は、現代の歌舞伎ならでは、と言えるだろう。
そしてこの意識がファンにも存在する、というのが、現代の歌舞伎の「ミソ」と言えるだろう。
確かに伝統的な歌舞伎ではない「超」歌舞伎ではあるし、どの歌舞伎の公演もこのノリだというわけではない。しかしこれはこれで新しい形であり、これまで歌舞伎を知らなかった多くの人々が集まり、楽しんだことを喜んでくれる、そういう姿勢がファンの中に根付いている。もちろん否定的な意見もあるが、新しい試みで新たな人たちの喜びになったことを喜んでくれる人が多く、また新しい試みを試していた18代中村勘三郎さんに思いを馳せ、その試みが勘三郎さん亡き後も続いていることを喜んでいるファンの声が多かった。
演者が新しい試みを取り入れ、ファンがそれをそれとして評価する、その姿勢が歌舞伎を現代につながる劇として存続させていったのだろう。
もっとも「スーパー歌舞伎」のwikiを見ると古典に傾倒した時期もあったようで、この「新しい形を評価する」という舵を切るにも、おそらくは多くの波風があったのだろうと思われる。しかし現代の歌舞伎は舵取りに成功し、それが今回の「超歌舞伎」に至ったのであろう。


「オタク界隈」は歌舞伎界隈を見習うべきではないか

このファンの姿勢は、他の芸術文化のみならず、今の「オタク界隈」も見習うべき姿勢だ。
「オタク界隈」は少し人気が出ると、必ずと言っていいほど新しい参加者を「ニワカ」と叩く癖がある。
長くてもせいぜい30年、下手するとたった2~3年のことなのに、自分のやり方を「流儀」と押し付け、少しでも外れたものを「よその人からどう見える?」だの「迷惑になりそうだから」と主張し潰そうとする。本人以外の人間を説き伏せて「やってはいけない」という風潮を作り出してから攻撃をする、という陰湿で手の込んだ方法を取る奴もいる。
それで守られるものもあるかも知れないが、最終的には硬直して「終わったコンテンツ(オワコン)」と言われて消えて行く。
もちろん本当に迷惑になったり興ざめするようなものは対応するとして、面白くなりそうなものやいいものなら残し、生かして行くように、ファン側も意識して行くことが必要だ。
400年の伝統のある歌舞伎が新機軸を取り入れて、新たなものを生み出し、多くの人々を楽しませたわけだ。歴史の浅いオタク文化でそれができないというわけではないだろう。


「超歌舞伎」で感動した、その先は?

「超歌舞伎」で歌舞伎に興味を持った他界隈の連中はその後どうなる?面白かったねーで終わるだけじゃないの?という意見もあるようだが、「義経千本桜」の動画を見て比較を始めたり、新作歌舞伎について調べ始めたり、実際に行く計画を立てている人もいるようだ。
もちろん全員ではないし、古典歌舞伎まで踏み込める人間はもっと少ないかもしれないけど、確実に新たな歌舞伎のファンは増えただろう。
僕も今度、現地のCMでやってた「アテルイ」を観に行こうかと思っている。


「超歌舞伎」ですばらしい演技をした中村獅童さん、澤村國矢さん、青龍のうろこのみなさん、そしてスポンサーをしてくれた「電話屋」NTT、公演を実現した「動画屋」ニコニコにも、本当に感謝したい。
すばらしい感動を、本当にありがとう。


(※1)一般的にファンに知られている「音階とパラメーター設定を駆使してどうにかしゃべらせる」形ではなく、ミクさんの元の声の藤田咲さんに話してもらったのをミクさんのソフトに読み込ませて歌として反映させ、調整する方法だったらしい。いずれにしても「歌声合成ソフトにしゃべらせる」ということをしたのは間違いないようだ。
(※2)國矢さんの屋号に関しては初日16時の公演にて獅童さんが口上で伝え、2日目13時の公演からモニターにも表示されたとのこと。

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