スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

【コラム】初音ミクファンとしてのコメント 

初音ミク初体験
http://joshua0.hatenablog.com/entry/2015/07/29/181904

この記事について、2007年からのミクファンとしてのコメントを。

1.ミクライブでの声援は何に向けての声援なのか?

 これはいくつか向けてる対象がいます。
1)ミクさん自身
 ただの映像じゃないか、と言われるかもしれませんが、ご覧のとおり異様な存在感があります。最近のライブでは、こちらに手を振ったり笑いかけたりして、実際に「目が合った」ように見えますし、簡単なMCもこなします。確かに声援をアーティスト自身に届けている、という実感は薄い所がありますが、人間の歌手と同じように目を合わせることも、台本が決まってはいますがコール&レスポンスも可能。歌声だって直接ではなく、マイクを通してスピーカーから聞こえてくるのです。スピーカーの音の出所がパソコンだろうがほとんど一緒です。このように、舞台上の実在感のあるミクさんは、実在のアーティストとある程度同じなのです。
 ここまで似たような経験をできると、 3次元世界に存在しているかどうかは気にならなくなります。人間のライブでやるようにライトを振り、目が合うように見えたら「目が合ったー!」と喜べます。
ファンにとっては「ミクさんは舞台に立っている」も同然なのです。

2)バンド
 普通のアーティストのライブはアーティストが主役ですが、ミクさんライブの場合、生バンドが隣で、あるいは舞台上でクロスして演奏することが、実在感に大きな役割を果たしています。
 なので事実上、バンドも主役。バンドに対しても等しく声援を送ります。最初のミクさんライブで演奏した The 39’sはその実力もあり、ミクさんライブを通して多くのファンを獲得しました。
 こうしてバンドに向けられた声援は、舞台上にいる人間であるバンドに届き、そのままバンドのノリに還元され、人間のアーティストと同じ相乗効果が得られます。

3)楽曲および作曲者
 ミクさんライブには曲を目当てに来てる人もいます。大好きな曲が生演奏と「まるでそこにミクさんがいるように見える演出」つきで大音量で聴けるなら、楽しいわけです。そうした人は楽曲にノってライトを振ります。その先には楽曲そのもの、さらには作曲者がいます。大好きなPに向けて、ライトを振っているのです。
 ライブの後にそのPさんのtwitterアカウントに「ライブで○○かかりました!サイコーでした!」とツイートすれば、場合によっては返信が来るかもしれません。その点ではアイドルよりもずっと近いですね。
 このように、ボカロ曲は歌手そのものより「作曲家と聴衆」を近づけるのが特徴です。歌ってるのは全部ミクさんなので、自然と作曲家に目が向くことになります。

4)俺ら
 同じミクさんの曲を楽しむファンが、みんなで緑のライトを振っている、という光景が楽しく、大勢と一体になって騒げる、という楽しみがあります。その緑の集団の中に混じるべく、自分もライトを手に振るわけです。

 楽しいの?と言われると、楽しいです。ボカロ曲が好きならば。これは生身のアーティストのライブと同じだと思います。楽しみ方が少し違うだけで。


2.オタは「共感しない」のではなく「共感してもらえない」

 オタは共感性が無い、なんて言われてますが、むしろ共感性がないのは「一般人」の方です。
 「一般人」は「今までに知られていて、多くの人の人気を得ているもの」については共感しますが、そうでないものについては共感しませんし、そういう趣味であっても没頭する人たちに共感しません。野球を見てるだけなら「ふーん」ですが、チームについていろいろ語ると「オタ」と言って壁を作ります。「一般人」のこの態度に疲れて、距離を置いてるだけなんです。どうせ共感してもらえないなら黙ってた方がいいですし、自分の好きなものしか共感しないような人には共感する気なくしますよね。なので、ちゃんと共感できる人たちと集まってるうち、共通の趣味をハブにしたつながりが出来ることになりました。ミクさんもそうしたハブの一つ、と言えるでしょう。

 …といっても、そもそもボカロ趣味が「オタ」かというと…。
 昔は「オタ」というのはエロ・グロ系の「あまりおおっぴらに言えない趣味」の人たちのことで、人に言えないが故に隠す必要があり、それで壁を作る必要がありました。だから共感性が無い、なんて言われてました。ですがボカロはただの音楽趣味の一つなので普通に紹介でき、音楽好きに紹介すると「意外といいじゃないか」と高い評価を受けることがあります。
 ミクさん登場から8年、登場当時小学生だった子たちが今や大学生となり、学生には「あってあたりまえ」の存在になりつつあります。なので、今後はただの音楽趣味ジャンルのひとつとなっていくのではないかと思います。
スポンサーサイト

【コラム】「通信の最適化」の話~連中が他人をバカにするために敢えて言わないポイント~ 

「通信最適化」の件、本来は「送信元と受信元のデータが違っててアプリがインストールできなかった」という話だったはずが、通信の秘密の取り決めを守ってなくてどう、とか本筋とは関係ないところに話を向けてるように見える。日頃の鬱憤を晴らすために難癖をつけているように見える。その上、
「圧縮するにしても、送信元と受信元が一致するように圧縮してやればよかったんじゃね?それだけのことでしょ?」
という人間に対して「理解できないバカ」と罵り、あるいは持論を同じ言い方で繰り返すだけで、何の解説もしない。
それもそのはず、彼らは普段「セキュリティ」という部門で仕事をしていて、自分の発見を公言しちゃうとハッキングの嵐を招いてしまうので、おいそれと口にできない。さらに理系の研究では「いかに自分の研究や発見が新しく役立つものである」かを力説することと、誰かの出した発表の粗を探して問い詰めるというのがお仕事である――そうしないと間違った説が正しいものとして通ってしまう。
結果「自分の見識は隠す」「相手の粗を探して罵倒する」というのが普段の性格として染み付いてしまい、そういう言い方しかできなくなってしまってるわけだ。

さて、そんな彼らが敢えて話さないポイントについて、恐らくこうなんじゃないか、ってところを考察してみよう。


1.「電気通信事業者」がやるお仕事はどこまでか

ネットワーク越しの処理においては、どうやってデータを送るかとか、送ったデータをどう扱うかとかいったことが区分分けされている。その具体的な手順のことを「プロトコル」という。
で、「電気通信事業者」はいわゆる土管屋さん、データを送り届けるだけがお仕事なので、この処理全部をやるってわけではない。具体的な所はよく調べてないからわからないけど(たぶんサービスによって異なる)、ここから先の処理はやりませんよ、ということを前提にサービスをしていて、システムを作ってる方も「ここから先は自分でやる」ということでシステムを成り立たせている。これが相手の領分に踏み込んでしまうと、想定が崩れるのでシステムが成り立たなくなる可能性がある。いくら「ちゃんとデータは元に戻しますよ」と言っても。なのでこの線引きはちゃんと守ってもらわなきゃ困る、というわけ。

で、「圧縮」というのはこの電気通信事業者のやる範囲に入っていない。仮にちゃんと戻すとしても、解凍したデータがちゃんとしてるかの整合性を取るための処理も同じく、電気通信事業者のやる範囲に入っていない。その部分は何もしないということを前提にシステムを組んでるのに、勝手に他人の領分に入って、余計なことをされては困る、というわけ。

連中が「圧縮はプロトコルに規定されてないからダメ」というのは、
「圧縮は(電気時通信事業者の行う作業区分の中に入っている)プロトコル(=つまり具体的な手順)に規定されて(=として設定されて)いないから(勝手にやっては)ダメ」
ということを言っている。このカッコの中身全部抜いといて「十分な説明」と言い張るんだから、説明のセンスがないというか、バカにするために隠してたことの言い逃れとして苦しすぎると言うか…。


2.「オプトアウト」のお話

さて、ある時、とある事業者が画像を勝手に圧縮して通信量を小さくする、という手を使った。もちろん圧縮したまま違うデータを黙って送りつけること自体言語道断なわけだけど、そうとわかってるならその方がいい、と思う業者やユーザーもいる。
ということで、使い方のオプションの一つとして、「画像圧縮するしないを端末側で決められる」というのを提供するということならいいですよ、ということになった。
これがあの辺の連中がごちゃごちゃ言ってる「取り決め」の話。


3.結局今回の「通信の最適化」は何が悪いのか

で、今回はこの画像圧縮の設定を「最初からON」になるようにしてたり、ONから変えられないようにしてた。もちろん圧縮したまま違うデータを黙って勝手に送りつけること自体(ry なわけだけど、サービスの範囲を超えたことをしちゃったことが一番の問題。特に何もしないことを前提にアプリケーションを作ってた開発者にとっては、前提が崩されるので非常に困る。「圧縮してもデータ検証して戻せばいいんじゃない?」に反発するのは、そこの領分に踏み込まれると前提が崩れちゃうから。

すなわち「要求したのと違うデータを送りつけた」のが問題ではなく「やるべきじゃない領分に足を踏み込んだ」ことを問題にしている。だから「要求したのと同じデータであればいいんじゃない?」では済まないわけ。

で、「座組み」と称して「画像を元に戻せない圧縮方式で圧縮して転送する」ということを前提に話を進めているのは、2.に書いた「元に戻せない圧縮方式に切りかえるオプションをつける」が認められてるという前例があるから。電気通信事業者がネットワーク上に流れるデータをどうしても圧縮したいんだ、と言った時に「俺たちとしてどこまで許せるか」ということで、この前例と同じようにやるなら、俺らもわかってるし認めてやろうじゃないか、というわけ。
もちろんこの他にも「データ漏洩が無いように必要以上にデータには触りませんよ」と言ってるのにいじりまわしてるじゃねーか!と言うお話も「通信の秘密の取り決め」関連としてあるわけだが、それも「データを直接いじった!」ということそのものより「お前らはデータをいじる処理の領分には手を出さないことになってるじゃないか!」というところに軸足があると思われる。だから「圧縮するだけだから中身見ませんよ」だけじゃ許さない、というわけ。


…というあたりを抜いて話を続け、よくわかってない人間のコメントに対し「○○さんが参戦したぞw」とさぁ叩いてやれと言わんばかりに殴って喜んでる。これがあの界隈の連中の態度、ってわけ。
続きを読む
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。